(題名、失礼しました。全力脱力タイムズが無くなった寂しさから、気付いたらタイトルで遊んでしまってました(_ _)シツレイ)
先日は、身体の感覚を感じる時間「体感時間」を増やして
①怒りの発生に気付く
②その怒りに囚われず流す
③大事なエネルギーを他に使う
事をご提案しました。
数回触れてきたように、「脳疲労は機械の使い過ぎによるものだけではありません。 プチ瞑想にて「様々な雑念が出てきますが留まらず流して下さい」ともお話しました。
人間、防衛反応なのか怠けの部分をもっていますよね。だからこそそういう雑念が頭の中で自然発生するようにして反応して動くようにしているのかな?と
私は考えます。
この雑念、一番ややこしいのが「不安」ですよね。不安は将来に「こうなるのは嫌だ」という怒りと言い替える事が出来る、と多くの僧侶の方もおっしゃっています。
皆さんもご経験が無いでしょうか。ふと気が付いたら先々の心配事・不安についてグルグル考えていた事。私も昔は回数が多かったです。今でもありますが、不安が一度発生しても芋づる式に膨らんだり、ずーっとグルグル不安について回遊している事は格段に少なくなりました。

では、不安を解消するためにどうすれば…ここでも「プチ瞑想」の体感時間
を増やす事が有効です。その仕組みと利点についてお話していきます。
仕組みとおおげさに言いましたが、怒りに対する時と同じです。
体感時間を増やす事で、不安について囚われている時のモヤモヤ感やソワソワ
感等に敏感になります。あとは
①不安の発生に気付く
②不安に反応せず流す
事です。
①まではなんとかいっても、②が難しいんですよね。冒頭にお話しした
「怠けに対し強制的にでも動かす」為に発生している不安なので回数も内容も
強烈です。
禅僧であり大学教授庭園デザイナーでもあられる枡野俊明師はその著書
「心配事の9割は起こらない」の中で不安には実態が無いと述べられています。
達磨大師のお話でもよく語られていますよね。弟子から不安について相談を受けた
達磨大師は「ここに持ってきたら取り除いてあげるよ」と話をして「不安妄想に実態が無い」事を気付せたお話です。
ここまできたら皆さんお気付きですよね。そうなんです。不安って実態が無い、勝手に自分が作り出しているものなんです。実態が無いんですけど、何度も何度も頭の中に湧き出てくるのであたかも「有る」ような錯覚に陥ってしまうんです。
不安の種って本当に尽きません。自分で好き好んでその種を植えているのかな?
という位根が深いです。
ですので、体感時間を増やす事で①不安に気付く②実態が無い事にも気付く
事が何回も繰り返されていると、「あぁ不安ってやっぱり無いんだよな」「自分が勝手に作り出しているんだ」という事が腑に落ちて、理解し納得出来る訳です。
如何でしょうか。なんとなく将来への不安が実体が無いものを感じていても「無いんだ」「作り出されたものなんだ」と「納得・腑に落ちる」にまで行きつくと ホッとした安心した気持ちにならないでしょうか。(若しくはなれそうに思えてこないでしょうか)

そこまでは至らずとも「そんな安心した気持ちになれそうかな?」と見通しがたつだけでも全然違います。
まずは是非細切れの御時間、信号待ちやトイレの時間、お風呂の時間等に一日数回試してみられて下さい、体感時間。
お金も時間も掛かりませんのでリスクがありません。
他の事も試してみたくなったら、例えばヨガや座禅の本を読んでみたりしてより興味のある継続が出来そうな方法や内容を探してみるのも楽しみが増えそうでいいですね(^^)
それでは本日のまとめに入ります。
体感時間でよく発生する雑念、
①不安の発生に気付く
これが繰り返される事で、「不安には実体が無い・自分が作り出したもの」
に納得して腑におちる。それが
②不安に反応せず流す
に繋がる。
世間でよく求められる「簡単」「すぐ」という訳にはいかないかもしれませんが、
じわじわと効果があるものはその効果の持続が「簡単」「すぐ」には比べ物にならない位長く有益だと私は思っています。
本日もご覧頂き、有難うございました。
共に歩んで参りましょう。


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