前回・前々回と「キラキラを追い求める(気にする)」「キラキラからの方法転換」についてお伝えしました。
キラキラをいつも追い求めても、人間には変化を求めるように仕込まれているのか「飽き」「つまらない」と感じるように出来ています。このタイミングで他のところでのキラキラが眼につくと無意識に追い求めたり、不満が出てくる「時がある」のではないでしょうか。
この追い求めや不満は自らが意図して描いた理想ではなく、他からの刺激でやむを得ず出現してきたものです。
今回は過剰に気付いてキラキラに反応しなくなる平静・穏やかさに近付くための考え方についてお伝えします。少々前々回の補足のような内容になっておりますが、ご一読頂ければ幸いです。
前回少しお伝えしましたが、常日頃自らの幸せ感度を満たしておくと、度を過ぎた時に「過剰→気付く→追わない・流す」の流れにもっていく事が出来ます。
例えるならば、コップが満たされている状態であれば、外からの刺激でコップが反応して揺れるとこぼれるので、下にこぼれた違和感で気付く、という感覚に近いです。
コップの満たし方については前回お伝えしておりますので、もしご覧になっていない方はご一読頂ければどのようにすれば良いのかよりイメージが湧きますのでご参照下さい。
もうお気付きかと存じますが、キラキラ・ハッピー・アゲアゲといった快楽にも近い状態は日常・通常ではありませんよね。
殊自分が落ち込んでいる時は他人のキラキラがSNS等で眼につくかもしれません。
しかし、日常・通常はルーティンにも近いような地味で楽しくもないし派手でもない事でほぼ構成されて います。
仮に高揚感で一杯のキラキラの割合が増えても、飽きますのでその中で「地味」「ルーティン」に近いものが必ず生まれてくる訳です。
この仕組みがわかると、過剰に追い求める事自体に意味を成さない事が腑に落ちます。
ここに納得出来ると、先程お伝えした「過剰→気付く」から「追わない・流す」へ移行し易くなります。
無駄な反応や反応からの言動が減るので、自らが設定した目標や追い求める姿に近付く為の時間をとる事が出来る訳です。
また、日常の「地味」「ルーティン」の中にも実は小さな小さなキラキラがたくさん隠れています。
「当たり前」を見直し「有り難い」の実感と「地味」「ルーティン」を積重ねた達成感という自分で生み出したキラキラを増やして、他で発生しているキラキラに反応しないようにしましょう。
何不自由なくご飯が食べられる事、職業選択等の自由がある事、雨風凌げる場所で眠れる事… 本日も眼の前の有り難さを噛みしめて、丁寧に取り組む事が出来ますように。


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