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当り前を見直す効用③身近過ぎる存在を見つめる利

人生
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当たり前と聞くと、「自分はそうじゃない」という思いから振返る事すらしない事がより当たり前を助長にしてしまいます。当たり前過ぎて刺激が足りず物足りなさがあるかもしれませんが、大事な方に出来る時に自分の思いを伝えられるよう当たり前を見直す効用の最終回、お付き合い頂ければ幸いです。今回お伝えしたいのは★当り前を見直す効用③身近過ぎる存在を見つめる利★です。

身体と気持ちに優しく→他人への寛容さ

人間って不思議ですよね。鏡はあっても、自分の事を自分で見る事が出来ません。それ故に自分が持っている一番身近な物質、身体。一番身近だからといって思い通りになる訳…ではないですよね?大事な時に限って風邪をひいたりするもんです。かと思えば、妙に身体が軽く感じられたりして絶好調な時も。一番身近なのに全くコントロール出来ません。コントロール出来ないもの…まずは体調に波がある事を再認識しましょう。認識出来る回数が増えると波の上下がある時期・気象条件・環境等傾向がつかめて対策がとれるようになります。

体調の波に気付かず、「なんだか気分悪い」「イライラする」という意識にのぼらない不快感があるのはかなりのストレスです。体調の波に気付くと、「あ、今日は芳しくないな」と客観視出来るので正体不明の不快感が減り、必要最低限の動きに集中して取り組む等の対策も取り易くなります。この意識にのぼらない不快感を流して無理したが故に症状がかえって悪化する事もありますので、身体の小さな違和感に気付く事は大事です。

身体の調子の波に気付き受け容れる事が出来るようになると、他の人へも寛容になれる事が増えます。「一番身近な身体が思い通りにならないのに他人が思い通りになるか?」の問いに対して明確な回答が出来るからです。ここまでくると「なんであの人はこうしてくれないんだ」や「あんな事言わなくても」なんていう不満の度合いが下がり、その回数が減るだけでもストレス総体の減少はかなり進みます。身体は気持ちとも連動していますので、二つの波が相互に左右して複雑に見えますが、本質は同じ。「思い通りになりえますか?」の問いを重ねる事でハッキリと見えてきます。自分の身体や気持ちは身近で当たり前過ぎて気にも留めない事が多いかもしれません。しかし、ともに波があり「思い通りにならない」と腑に落ちる事で、他人へも寛容になれ自分のストレスが減り穏やかさが心地良く感じられます

近しい人の存在

「なんでこうして(言って)くれないんだ」…お恥ずかしい話ですが、母が洗濯してくれるのを当たり前と思っていた中学生の私、自分の準備不足を棚に上げ「体操着今日必要なのに」等数々の文句を母に言っていた記憶があります。肉親や友人、あまりに近過ぎてついつい求める度合いが高くなってしまいがちです。度を越した欲求と不満が家族間での殺人殺傷事件に発展している例が最近増えているのが気になります。

ここで今一度立ち止まって見直してみる事を強く提唱致します。「近過ぎる存在≒当たり前」が成り立たない事を。相手もそうですし、自分も万全な状態で次にいつ会えるかわかりません。それは一緒に生活していてもです。我が家は「次いつ会えるか」の感覚を常に意識していますので、出かける時は「最後かもしれん」というつもりで送り出し、帰ってきた時は「無事に帰ってよかった」と声掛けしています。これを「縁起でもない」というように思われる方もおられますが、「瞬間瞬間を大切に生きる」事が日々の有難さの実感と充実感に繋がるので意識して声掛けし、日々を大事に過ごしています。

近しい人の存在を「当たり前ではない」という思いが自分の行動に繋がり、寛容さと愛情が増せば不満からのイライラやストレスが減り、自分へも還ってきます。「この人との今を大事に」しながら、満たされる日々を過ごしていきましょう。

それではまとめに入ります。

自分の体調・身体や気持ちと人において、「近しい≒当たり前」ではない事が回数を重ね腑に落ち納得出来ると、不満からくる正体不明の不快感やストレスが減り、受け容れる度量が広がります。

良くも悪くも身体や気持ち・他人に生かされています。当たり前ではない=有る事難し=有難うの気持ち→感謝の言葉…の図式は巡り巡って必ず自分に還ってきます。共に歩んで参りましょう。

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