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共有と共感①:一人以外でも楽しい

人生
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以前、自分基準を作る事についてお伝えさせて頂いた回がありました(リンクはこちらから)。

これは何も「孤独が良い」とか、単に「群れるな」なんて格好良い事をお伝えしたかった訳ではありません。

「格好つける」と言えば…、昔ながらの博多弁だと「格好つける」と言うのを「艶(つや)付ける」と言っていたそうで、私が中学生だった頃先生に「なん(どうして)お前は艶付けとうとか」と整髪料の付け過ぎについて怒られた記憶があります(^^)

冒頭より話が逸れ、失礼しました。

自分基準についての回で、「敢えてぼっち」になる「一人時間の大切さと方法」についてお伝えしました。

今回は「共有と共感①:一人以外でも楽しい」と題してお伝えしていきます。

日頃私は疑問に思っているのが、一人の時間を楽しめない・大事に出来ないのに人と一緒に居る時間を楽しむ・大事に出来るのだろうか、という事についてです。

人と一緒に居る時、必ずしも毎回「た~のしぃ~」なんて感じる訳でもありません。

もし一人で居る時間を楽しめず「寂しい」「辛い」「恥ずかしい」と捉え誰かと一緒に居たとしても、単に「時間を過ごした」という事でしかないように思えてなりません。

ここまでの内容で終えてしまうと、単に偏屈で集団嫌いなだけ…ですよね。確かに、自分でもハッキリ自覚はしておりますし、たまに「考えが極端では?」と自重しているつもりではあります(笑)。

「一人での時間の大切さ」や「自分と向き合う重要性」について提唱するようになったのは、人生の半分を過ぎて時間の有限・大切さ、を身に染みて痛感しているからでもあります。

単に「寂しい」からと集まってみても、人と一緒に居る自分に焦点が当たっているだけなので、時間の垂れ流しでしかありません。

折角の時間を使って共に過ごしているのですから、冗談話以外にも考え方や価値観等視野の広がり・行動への意欲を生む時間に出来たらな…と耳をダンボにしておきたいものです。

また、一人でも楽しく過ごせたり、自らをみつめ振り返る時間にしていく大事さがわからないと、集団から離れようとする人や価値・考え方の異なる人に対して寛容になれず、いじめたり蚊帳の外にしたりする行動に繋がります。

自分の考えや価値を絶対視する態度は知らず知らず表情や態度・雰囲気で出てしまうので評価が下がりますし、本当は自分にとって有益な価値や考えに出会えているのに機会を損失してしまいます。

自分基準・自分時間についてはもし今後御時間があれば、上記リンク先をご覧頂ければ幸いです。

学校であれば友人とまではいかない知り合いや・仕事であればお客様や同僚との約束、あまり気がすすまない時もあると思います。

反面教師としてでも学びや気付きにはなりますので一応顔だけは出しておきましょう。

その後の会は病気を装うなり、親戚に不幸が起こった等早めに切り上げて自分の時間をも確保しましょう(^^;)

今回集団での時間についてお伝えしましたので、次回もう少し共有・共感についてお伝え出来ればと存じます。

本日も心暖かい一日となりますように。

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