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食から感じる生きている実感:大人の食育

人生
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先日ニュースで、学校での完食指導について取り上げられていました。強制的な完食指導によって教室や学校に行けなくなったり、人との食事が怖くなったりする事もあるそうです。「完食させる事が出来ない」=指導力が無い、「完食しないとダメだ」という思い込みがもし背景にあるのだとしたら、「食べるのは誰の為か」「生きるに繋がる食べ方」の視点も必要なのではないか、と私は思います。皆さんはどのようなご意見を持たれているでしょうか?

本日お伝えしたいのは★「食は当り前作業ではない」★です。

食べる感覚を大事に

ニュースに出てきた学校では、給食開始当初10分は黙って食べる時間になっているそうです。話をしていると時間が掛かって進度が遅れるという側面もあるようですが、 「嚙む・嗅ぐ・見る・味わう・飲み込む」といった感覚を鋭くする事にも繋がり情緒が安定します。これは子供たちだけに当てはまる事ではありません。厳しい修行をされるお寺では、黙って音も立てずひたすら食べる事に向き合いますよね。オフィス街のランチでスマホを片手に大人が食べている光景と、どのような差が生まれるのでしょうか。

食べるのは生きているエネルギーを頂く事であり、食での感覚が生きている実感になります。食べた・頂いた感覚が無いと食後に余計なものを食べたくなり易くなるので、健康診断前に突然何かの断食を始めたりするようになります(^^)

食べる感覚と向き合う事で自分が生きている事を感じるのです。そうすると、余計な雑念が減って頭がクリアな状態のままその後の活動が出来ます。食べる時位はスマホやPCを見ずに食べる感覚に集中して、生きている実感を積重ねていきましょう。

身体と脳を動かす

ニュースで完食を促される子というのは元々身体も脳も活動量が少ないのではないでしょうか。私が就業していた保育園の野外活動では山登りをはじめ、海・河遊び等昔ながらの自然を相手にした遊びで目一杯身体を動かしていました。ですので、子どもたちは完食指導などせずともあっという間にお弁当を綺麗にしていました。

脳の活動量でも同様です。私もほとんど一日動かずパソコンの前で書き物や資料作り・計画等少しアイデアをひねり出すアウトプット作業をしていると、お昼よりも前にお腹から「グゥ」とSOSがよく出ます。あまりに音が大きくて、外で作業をしていると周りの人が気付く位の音量です(笑)

また、ニュースで出た学校で少し気になったのは「完食への声掛け」が多すぎた点です。「完食出来たね」「もうちょっと頑張ろうね」という言葉、食は本来本人から湧き出てくる欲求で生まれる行動なのであり、あまりに声掛けが多いと「食べさせられる物」「頑張るもの」という食についての受身で強制的な感じになってしまいます。

漫才師の島田洋七さんは著書がばいばぁちゃんの中で「空腹は最高のスパイスや」と書いていらっしゃいました。 子どもも大人も「うわ、ご飯まだかな」と時計を見たくなる位、身体・頭ともにしっかり動かして食の時間を楽しみに待ちましょう

命の交換

最近では自分達で育てた作物を給食に出す園や学校があるそうですね。その子どもたちは好き嫌いが減ったり食べる量が増えたりしているそうです。

食べるとは他の命を自分の命とする行為です。そこがわかれば自然と感謝の気持ちが生まれ、指導せずとも「残さず食べよう」と自然と自分から食べるようになります。そう考えると、飽食の時代も恵まれているのかそうでないのかよくわからないものですね(^^;)

食とは 命を頂いている」事を忘れないようにしましょう。感謝の気持ちが礼儀や所作に表れる事は挨拶等のマナーと同じ事。そして食にありつける事は当たり前ではありませんし、これからも当たり前と保証されている訳でもありません。命を頂いている事に対して「ながら作業」では失礼ではないでしょうか。この命への感謝がベースにあると、子供たちへの食のマナーを伝え易く、大人にも食を通じて「命や自分と向き合う大事さ」を感じて貰い易くなります。

それでは本日のまとめに入ります。

食は塊を口に運んで腹を満たす作業ではありません。しっかり身体と脳を動かし、命の交換から感謝と頂く物への畏敬を持つ時間です。この観点があればながら食べが命を差し出したものに対してどういう行為かは自ずとわかります。その納得が「残さず食べる」「味わって食べる」という姿勢に繋がります。

少しカタい話になってしまいましたが、食は本来楽しいものですよね。命への感謝と会話も大事にしながら、丁寧に最後まで味わいましょう。食は回数も多く、食の感覚が生きている充実感に繋がり易いので「ながら」ではなくしっかり食物と向き合って食べつつ・・・
共に歩んでまいりましょう。

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