昔小さい頃に「この楽しい時間がずっと続けばいいのになぁ」なんて思った事、皆さん無いでしょうか?私は大人になってもそんな風に思っていた事が結構あった気がします、特に若い頃は(^^)
一方で、何事も長くは続かない、言い換えれば限りがあるという事が薄々わかっていてもあまり正対して眼を向けない弱さがあるのも事実です。伴侶に花を買ってきて貰って家に飾る事があるのですが、暑い日だと一週間持たない時もあります。今回お伝えしたいのは決して暗い内容ではありません。★限りがあるとわかる→ひと時一瞬を大事に積重ねる事が出来る★です。宜しければ最後まで読んで下されば幸いです。
限りがあるから丁寧に
「限りがある」という考え方はネガティブ思考でしょうか?私はそうは思いません。逆にそこに気付かないように蓋をして生活をしていると限りある事に正対しなければならなくなった時の葛藤や苦しさが余計に増します。「限りがある」事、例えば人と会う事。その時はお互い元気で会えていても次また同じように会えるとは保証されていません。この考え方をネガティブ思考と感じて批難する人は「また会えるのが当たり前」と思っているので、言動がちょっと横柄だったり御礼を言う時の礼の所作が一つ一つ区切られておらず雑だったりします。

こんな内容の話なので可能性は低いですが、もしこれをご覧になっている就活生や転職者、面接官の方は特に御注意下さい。細かい所作を選定材料にしている企業や受験者は多いです。意識的であれ無意識であれ、です。その印象が全体の印象になる事もあります。ほとんどの方は次に会わない可能性が高い、即ち限りがあるのですがお互い時間をとって時間を共有した事の有難さをお互い感じながらお別れのご挨拶をしたいものです。一瞬の印象でもう会えなくなるのも勿体ないですから。限りがあるからこそ、その時その時出来る事を丁寧にやっていきましょう。そうすると、「あの時こうしておけばよかった」なんていう後悔は出なくなります。「出来る事はやった」感が繋がっているので納得感が出来て、その後の意欲・動きにも繋がります。
続かないからこそ先へ進める
楽しい・嬉しい・気持ち良い時間が続いたらどうなるでしょうか?人間は飽きるように出来ているのでいずれ違う活動に向かって進むように出来ています。もし楽しい・嬉しい・心地良い時間が続くとすれば強度がどんどん強くなっていかないといけません。それって、中毒へ続く道になりかねません。本能的にそれがわかっているので身体を動かし先へ進むように敢えて「飽きる」機能を作っているとも言えないでしょうか。長く続かない「やった・良かった・心地いい」状態を求めて動かされる、ように出来ているみたいですね。続かない=限りがある、からこそ先へ進む、これに納得が出来ると「この時」を共有出来ている方への有難みの感じ方が違うので自然と御礼を言う時にも「思い」をのせた丁寧な所作になります。
学校であれ、職場であれ、何かの集まりであれ、次同じような状況でお互いに会えるとは限りません。その日その時自分も同じような状況で同じ事が出来るとも保証されていません。ここに気付けると、目の前の方にも自分にも、出来る事をちょっとずつ積重ねていきたい気持ちが出てこないでしょうか?無理くり考動をさせようとするポジティブシンキングよりよっぽど自然に歩みたくなる気持ちが湧き出てきます。

それではまとめに入ります。
本日は、少し暗い内容の話題に感じられたかもしれません。しかし、限りがある、長く続かないと
納得出来るからこそ、ひと時一瞬を大事に積重ねる気持ちが湧いて綺麗な言動に表れたり、歩んでいこうとする意欲が生まれてくるものです、必要な休みも適度に入れながら。潔さや覚悟が出来ると、軽快さや穏やかさが感じられてより前に進み易くなります。
共に丁寧に歩んで参りましょう。


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