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期待しない、で軽快に

人生
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ここ数年、伴侶と一緒に韓流のドラマを見ています。内容は王様とその臣下が出てくる歴史物です。

多少脚色されていますが、歴史的な事実を少し調べてみて感じた事…「人間って全然変わってないなぁ」という事でした。領土や民族紛争、権力への羨望・怨み・妬み・怒り…昨今の世界情勢を表すニュースを見ていてつくづくそう思います。

これは単なる人間本質のネガティブな面を伝えたいわけではありません。

使う道具を飛躍的に進化させているので人間自体も「良く」進化しているように錯覚してしまいそうになります。

しかし、「人間自体はそれ程変わってない」「当てにならない」と腑に落ちる事で良い面があります。

それは「期待しなくなる」事です。

意識・無意識にかかわらず人間同志が交わると「こうして欲しい」「こうすべき」「こう思って欲しい」等の期待が大小出てきます。

そこから自然と生じるのは不満です。最初は「だったらいいな」の願望だったものが「べき論」になり、「何故しない」にまでなると怒りの感情が混じってしまって尾を引き、時間やエネルギーをかなり浪費してしまいます。

一方で、人間に対して「期待出来ない」と納得している場合は、怒りと伴って尾を引くような不満までにはなりません。「そんなもん」と切り替える力が身に付くからです。

この切替える力がサッパリとした軽快感となり、途中小休止を入れながらも次へ次へと考動を起こす方へ意識を向ける事が出来るため、時間とエネルギーの効率が上がります。

これは全く人を「信頼しない」という事ではありません。

他人にも自分に対しても「出来る」「して貰える」を当然とするのか、「そうならないのが当然」として少ない可能性に託すのか、の視点の違いです。

当初から過剰に求めるとどうしても感情的になり易く尾を引く事が多いので、私は軽快に生きる事が出来る後者をお勧めします。

また、「そうならないのが当然」と納得しているからこそ、思いがけず受ける人からの言葉や行為に「あぁ、有り難い」と感謝が出来、その思いが御礼への所作に出る訳です。

自分に対しても期待して考動するのは自然な事ですが、度を超す事で結果が気になり過ぎたりといったプレッシャーになってしまいます。準備の一つ一つに意識がいかないのであれば時間の使い方としては勿体ないです。「期待出来ないけど、可能性に掛けてやってみる」事を楽しんだもん勝ちです。

まとめに入ります。

物の進化とともに人間も良く…なってはいない面が多々あります。他人にも自分にも最初から期待し過ぎない事で、結果に対して感情が入り込む余地を少なくし「そんなもんたい」と淡々とまた出来る考動を積重ねていく軽快さを持つ事が出来ます。共に歩んで参りましょう。

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