西日本大濠花火大会、昨年2018年を最後に終了しました。
1949年から数回の中断を挟んで60回を重ねてきた大きな花火大会の喪失感が大きかったのでしょうか。
ベイサイドプレイス博多の小さな花火大会、数年前観た際には座れるスペースが余っていた位だったのに、今年は人の移動スペースが狭まる程の混雑具合でした。
西日本大濠花火大会の主催、西日本新聞社は安全の確保を理由に終了したようでしたが、運営費の収支や近隣からのクレームもその理由としてあったのではないかと思われます。
花火大会、無くても生活に支障は無いですが、季節ものって無いとなんだか穴がぽっかり空いたような寂しさが強くなります。
これまであって当たり前と思っていたものが急に無くなるというのは、何故かそのものがある時には有難さが気付かないもんなんですよね。
規模が大きくなり過ぎると「コストを負担せずに利益だけを得る」フリーライダーが遠出をして駆けつけてきますよね。そういう方たちは地元でも無いし、荒らし放題して去っていくので問題が大きくなります。
大半の人が「ゴミを捨てない」「近隣に迷惑を掛けない」という当たり前の事を守っていても、必ず一定数当たり前が出来ない人…いますもんね。という事はそういう大きなイベントは遅かれ早かれ無くなるのが必然?という事にもなるのかもしれません。
ただ、私自身もフリーライドをしている一員です。
花火大会だけでなく、人との関係にも?そう思うと、花火大会に寄附出来なかったような後悔は人との関係でもしたくないものです。「必ず次があって、お会いできるとは限らない」と思う事で、眼の前に真摯に向き合い取組めるのでより日々の充実感に繋がり易くなります。
昔お世話になってご無沙汰している方、あまりにも身近過ぎる家族に対しても出来るタイミングで「気持ちを伝える」「返す」事を意識して考動出来れば「あの時こうしていれば」という後悔も減ります。
いつまでもあるような気がしていた花火大会。タダ乗りだった自分を省みる事で最後かもしれない「今眼の前」に向き合い取り組んでいく事の大事さに改めて気付かされました。
日々精進して参ります。最後までお読み頂き、誠に有難うございました。
タダ乗り感覚からみえたもの:花火大会終了を省みる
人生

コメント