情報量が豊富な事は本当に有難いですよね。選択肢が少ないよりは多い方がより実のある行動に繋がります。しかし、それは選択する側に選択する基準がある場合のみです。あふれた情報をくまなく見ている間に次の情報に反応して、結局は選べず・動けずになってしまっては何のための時間だったのか…勿体ないです。気付いたら当初の調べものや目的とは違う内容のホームページやSNSを開いていたご経験、一度はあると思います。
自分の中にしかない答えを見出すようになるには、相手に問いを立てさせない事が大事です。問いを情報発信してくる側は「これがあれば」「これですぐ」という答えを用意しています。
本日お伝えしたいのは「再考→準備→想定→試行」という循環の大事さをお伝えしていく最初の回★自分で考える問いへのきっかけ★についてです。
①違和感に気付く
先日久しぶりにお昼のワイドショーを観る機会がありました。
もう何年ぶりでしょうか。感想としては「何だこの間延びした内容の垂れ流しは」。 確かに元々芸能等自分が興味の無い内容が多い事も関係するかもしれませんが、小さな内容を決められた時間枠の中に広がっていくように薄く薄く叩きながら引き延ばしているようにしか感じられませんでした。小さな金の塊から広い金箔を作るような感じです。
平和な日本で、時間枠内に番組を作ろうとするとそんな内容の時もあるでしょう。しかし、ただ垂れ流される情報を「つまらない」と受け取るよりも、どんどん変なところがあるかや違和感があるところをツッコんでいきましょう。違和感の感度が高まれば、主体性を持った当事者意識が出ますので、TVに限らず街中の広告等にも散りばめられている違和感ポイントにどんどん突っ込んでいきましょう。

②正しさを疑う
その昔、スポーツの世界では「練習中には水を飲まない」のは常識でした。根性論が中心でしたから脱水に近くなってフラフラな中練習をしていたご記憶がある方もいらっしゃるでしょう。今では完全に非常識ですよね。私が中学時代に所属していた陸上部は単に腹がタポついて走れなくなるので、唇を濡らす程度にしていましたが、その当時からきちんと水を摂るように皆で呼びかけていました。試合中の長距離選手を見ていて、脱水の危険性を学生が知っていたので、当時の常識には従っていませんでした。
少し例が極端だったかもしれませんが、身近なところでは卵の一日の摂取個数等…以前は正しいとされていた事はどんどん更新されていきます。その時正しいとされているのは単にその時は正しいと判断した「仮の正しさ」なんです。疑うまでいかずとも、少し斜めから見る位の方が距離感が保てて正しいとされている事の理由も納得がし易い面もあるかもしれません。メタボ健診がある一方、ちょっとぽっちゃり位の方が長生きする、かもしれないらしいですからね(^^)
③答えをワクワク探索する
答えがある教育を受けているとどうしてもすぐに答えがある状態を求めてしまいます。しかし、仮にそれらしき答えがすぐに見つかったとしても、発見した時の喜びが少ないです。時間も掛けず工夫もしてなければ「貴重な」「自分なりの」発見に到達した実感がありません。

正しさも変わっていくのですから、死ぬまで探し続ける途上にあると私は考えています。ですので、答えに至らない状態を不快ではなく、ワクワクと捉える事で不安定な状態をも楽しめる耐性が出来ます。この耐性がないと、問いを立てようとする事は自ら霧中へツッコんでいくような不安でしかありません。すぐに答えが出ずとも脳がクリアな状態の時にふっと「あぁこういう事だったのか」と発見に至る事も快感に繋がります。俗によく言われる「4B」Bath・Bus・Bed・Barのような時間ですね。答えがすぐわからないから不快ではなく、一つ一つ手がかりが見つかるワクワクに眼を向けてみましょう。子どもの時のように「なんでだろう?」と思う事が増えてきます。
それでは本日のまとめです。
動く意欲を自分で作りだす事にも「自ら問いを立てる」事は役立ちます。①違和感に気付いてツッコむ②正しいとされている事を斜めから見る③答えへの過程をワクワク楽しむ事で、自ら問いを立てて答えへの意欲を源泉に動いていきましょう。
人に聞いてみたくなる問いであれば人と交わるのももっと楽しみが増すかもしれません。知らない事ばかりだと知る事で、傲慢さではなく教えて頂く謙虚さや素直さを身に付けていけたらいいな、と個人的には思っています。
共に歩んで参りましょう。


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