前回は怒りが生じる仕組みを紐解き、和らげる準備についてお話をしました。今回は二回目、★相手にすべき物事は選択出来る!②:怒りを手放すとは?と題してお話していきます。
手放す自由
前回、身体の感覚に集中する時間を持って怒りが発生した時の状態に気付くという事についてお伝えしました。「気付く事」、これが無いと知らない間に時間を浪費しています。
今回まずお伝えしたいのは「怒らされた」という考え方についてです。
確かに特定の人からの言葉や態度が無ければ怒りは発生しなかった、かもしれません。しかし、人の言動をこちらをコントロールする事は出来るでしょうか。…出来ないですよね。
では、怒りに対してこちらが出来る事は何でしょうか。前回は怒りが発生した自分に気付きました。今回もう一つ気付いて欲しい事があります。それがコントロール出来る事と繋がります。それは「怒りを握りしめている」のが他ならぬ自分である事への気付きです。

怒りの感情を伴うと、何故か人間はその怒りの状態に固執し手放さないようにしてしまうんです。嫌だとわかっているのに…。なんだか滑稽ですよね。本当は不愉快な状態を望んでいるのでは?と思える程不思議です。この矛盾に気付けば「なんかアホらし」と馬鹿馬鹿しくなって手放す事に意識が向き始めます。
少し説明が長くなりましたが、ご容赦下さい。怒らされたと思っていた考えから離れ、「固執していたのは自分だった」と納得出来ないと、手放す習慣を身に付ける事が出来ません。握りしめていた怒りを手放す自由があります。次章から手放す過程に入りましょう。
自他共に赦す
怒り、特に人からによるものを手放す場合は「自分も相手もわからないから仕方ない」と気付く事も大事です。
自分が意図せず相手を怒らせる事があるように、相手もこちらの怒りが何によって発生するのかわからないのです。
仮に意図的に怒らせたのだとしても、怒らせた相手は「自分が上だ」等自分の事しか頭に無いので自分の事で精一杯なんです。そこに良いも悪いもありません。
相手を認める事・自分を認める事、同様に相手を赦す・自分を赦す、この「認める・赦す」は強い相関関係にあります。自分が先か、他人が先か…私の場合は自分→他人でした。
一方で、自分も他人も認めず・赦せない場これは地獄です。四方八方が敵であれば気が休まる時がありません。まずは一番身近な自分を認め・赦す方が効率はいいかもしれません。「相手も自分と同じなんだ」と納得し易いためです。他人を赦し、怒りを手放す為にはまずは「自分から」。自分との折り合いを付けましょう。

マハトマ・ガンジーは「赦しとは強い者の性質なのである」と言ったそうです。自信がある人の芯の強さとは赦しからくるものである事を表していたように私は感じます。
最後にお伝えしたい事があります。「赦す」と「自分を押さえ付ける」事は別です。毅然とした態度で伝えるべき事は伝えます。しかし怒りに固執する馬鹿馬鹿しさに気付いていると、感情的に伝える手法ではなく、事実やこちらの状態を冷静に・淡々と伝える事が出来ます。相手が感情的になればなる程、こちらは引けますので余裕が生まれるため巻き込まれにくくなります。
街中でもクレームを言ったりどなって怒ったりしている方、たまに見かけますよね。感情的に怒るのエネルギーが如何に浪費かを客観的に見れる良い機会ですので距離感を持って、時間が許せば観察してみるのも良いトレーニングになります。
お釈迦様が四苦八苦の怨憎会苦を発見されたのをご存知の方も多いと思います。人以外の出来事や自然を含む環境についても、「思い通りにならない」苦から怒りが生じると説いています。怒りが生じた自分を認め赦し、人や出来事・環境も認めて赦す。この手放す・離れる軽快さは自分がコントロール出来る事ですので改めてお勧め致しました。
それでは本日のまとめに入ります。
「怒らされた」事があっても、その事に囚われひきずったまま握りしめているのは他ならぬ自分です。この滑稽さに気付き、怒りが湧く毎に、怒った自分と何故怒らせたかわからない他人を認め・赦す事を繰り返して習慣化しましょう。頭ではわかっているつもりですが、私も「まだまだやな」と思う事があります。共に、習慣化していけるよう意識付けして参りましょう。


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