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ソーシャルディスタンスで得たもの

人生
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コロナ禍によって常識となりつつあるソーシャルディスタンス。

ソーシャルディスタンスを取る行為で、我々は「如何に周りに求めて苦しんできたか」を実感しました。

これ迄は距離感が近く頻繁に会えたり往来出来ていたからこそ、無意識に周りの人に「こうして欲しい」「こう言って欲しい」「こう思って欲しい」と求めている回数が多かったんです。

求める回数が増える程「思い通りにならない」回数の方が圧倒的に増えるので、葛藤・苦しみも増えていきます。

「これまでとは違う」という単純な理由だけでソーシャルディスタンスを取る事で「失ったもの」にばかり注目されましたが、距離があいたからこそ求める頻度・度合いが減って葛藤や苦しさからの解放感も実は得ていたんです。

本当は求める事から生じるきつさが無くなっていたにも関わらず、何故気付きにくかったのか…。

そうなんです、自粛期間中にもっときつかった事とは、自分と向き合う事だったんです。

人と会えない・行く場所もない・SNSやゲームも飽きがくる…そうなると向き合わざるを得ないのは一番身近な自分です。

眼がいき易い周りからの刺激に反応し続け、隠れていた自分が浮き上がってくると、「求めているのに得られない」現実がより際立って大きく感じられるようになります。

確かに最初はきついんですが、「そうか、これ迄は得られる事を当たり前の基準としてたんだ」「求め過ぎて逆に苦しんでたんかも」と納得がいくんです。この過程を経ないと自分が何にどの位求めてきたのか、には気付けません。

敢えて一人静かに自分と向き合う事で様々な気づきを得ようとするために行う瞑想、有名なYoutuberさんが推奨したり、シリコンバレーの大きな企業がわざわざ社員研修に取り入れている理由が今ならわかります。企業が取れ入れるのは、生産性を上げるためもあるでしょうけれど、社員の心身の健康が前提にある事も大いに関係しています。

「何にどれだけ求めてきたのか」がわかる機会を与えられた今、「眼に見えない」「すぐに得した気分にならない」からという理由だけでこれを活かさないのは勿体ないです。それ相応の犠牲をも払ってきたのですから、何か得られる機会にせんと…ですよね。

「何にどれだけ求めていたのか」がハッキリすれば、選別・厳選できますのでこれ迄以上に身軽に動き易くなります。

「どれもこれも、誰もかれも」に求め過ぎていた事に気付けたソーシャルディスダンス。

この気付きによって、限られた時間・エネルギー・資源を厳選された対象に投じていきましょう。

もう無理に近寄らなくてもいいって、身軽で気楽♪

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